大判例

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千葉地方裁判所 平成5年(ワ)599号 判決

原告 A野太郎

〈他1名〉

原告ら訴訟代理人弁護士 小関傳六

同 朝倉正幸

同 畑山實

同 斉藤義雄

被告 成田市

右代表者市長 小川国彦

右訴訟代理人弁護士 横山茂晴

右指定代理人 山田勇人

〈他2名〉

被告 医療法人 藤倉病院

右代表者理事長 藤倉静男

右訴訟代理人弁護士 山下洋一郎

被告 日本赤十字社

右代表者社長 藤森昭一

右訴訟代理人弁護士 小堺堅吾

主文

一  被告成田市及び被告医療法人藤倉病院は、各自、原告ら各自に対し、金二〇〇四万二八二五円及びこれに対する平成元年七月四日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らの右被告両名に対するその余の請求、被告日本赤十字社に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告成田市及び被告医療法人藤倉病院との間においては、原告らに生じた費用の三分の二を右被告両名の連帯負担とし、原告らに生じたその余の費用を原告らの負担とし、被告成田市及び被告医療法人藤倉病院に生じた費用を当該各被告の負担とし、原告らと被告日本赤十字社との間においては全部原告らの負担とする。

四  この判決は、一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは各自、原告ら各自に対し、金二七七四万二八二五円及びこれに対する平成元年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  亡A野春子(以下「亡春子」という。)は、被告成田市が設置し管理している成田市立成田小学校(以下「成田小学校」という。)に在学していたところ、平成元年六月三〇日、同校の水泳授業中に脳梗塞を発症し、同校教諭らによってプール近辺及び保健室内で休憩させられた後、被告医療法人藤倉病院(以下「被告藤倉」という。)の経営する病院(以下「藤倉病院」という。)に収容され、右同日中に被告日本赤十字社(以下「被告日赤」という。)の経営する成田赤十字病院に入院したが、同年七月四日死亡した(以下「本件事故」という。)。

本件は、亡春子の父母である原告らが、亡春子の死亡は、水泳授業中の事故の発生を防止し、亡春子に迅速な診療の機会を確保することなどを怠った成田小学校担当教諭等の過失並びに適切な診療を怠った藤倉病院及び成田赤十字病院の医師の過失によるものであると主張して、被告らに対し、被告成田市については国家賠償法一条一項又は成田小学校の設置管理責任者としての安全配慮義務違反に基づく損害賠償として、被告藤倉及び被告日赤については債務不履行(診療契約違反)又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として、原告ら各自について二七七四万二八二五円及びこれに対する亡春子の死亡した平成元年七月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  当事者等

(一) 原告A野太郎(以下「原告太郎」という。)は、本件事故当時成田小学校四年三組に在学していた亡春子(昭和五四年五月一日生)の父であり、原告A野花子(以下「原告花子」という。)は亡春子の母である。

(二) 被告成田市は、成田小学校を設置し管理する普通地方公共団体である。

(三) 被告藤倉は、その肩書地において藤倉病院を開設している。

(四) 被告日赤は、成田市《番地省略》所在の成田赤十字病院を開設している。

2  事故の発生

亡春子は、平成元年六月三〇日午後一時四〇分開始、同二時二五分終了予定の第五校時の体育の授業(以下「本件授業」という。)として、成田小学校教諭高橋利明、同小坂大輔(以下「高橋教諭」などという。)などの指導監督のもと、同校内のプールで水泳をしている最中に、泳ぎに異常を呈して、高橋教諭によってプールから助け上げられ、小坂教諭により同日午後二時三〇分ころ、同校内の保健室に運び込まれた後、同校養護教諭浦壁京子(以下「浦壁養護教諭」という。)、同校用務員藤崎某等により同日午後二時四五分ころ、藤倉病院に収容された。

3  診療経過

(一) 亡春子は、藤倉病院において、被告藤倉の被用者である整形外科医藤倉國男(以下「藤倉医師」という。)の診察を受けた。

藤倉医師は、亡春子について、前額部に挫傷があり、傾眠状態が認められたことから、癲癇の可能性を疑った。そして、同医師は亡春子の前額部の挫傷について湿布を行ったが、上下肢の麻痺等の確認は行わず、脳梗塞との診断をしなかったため、抗浮腫剤の投与、酸素吸入、転院等の措置はとらなかった。

(二) 亡春子は、同日午後三時過ぎころ、藤倉病院に到着した原告太郎に引き取られ、午後四時前後ころ、成田赤十字病院に収容され、被告日赤の被用者である脳神経外科医加藤誠(以下「加藤医師」という。)ほかの担当医らから脳梗塞と診断され、同日右病院に入院した。

亡春子は、CTスキャンによる検査を二回受け、また同年七月二日以降、抗浮腫剤のマニトール、グリセオールの投与を受けるなどの治療を受けたが、同月四日午前二時四六分、右病院において死亡した。

三  原告らの主張

1  被告成田市の責任

(一) 責任原因

被告成田市は、同市立の小学校の教諭等がその職務を行うにつき、公権力の行使に当たる公務員として故意又は過失により児童に損害を与えた場合には、国家賠償法一条一項によりこれを賠償すべき義務がある。

また、被告成田市は、成田小学校の管理責任を負担するものとして、同校就学児童に対し、生命身体を害することのないよう、安全について配慮すべき義務を負っており、これを怠り損害を与えた場合には右損害を賠償すべき義務がある。

(二) 事故の経過

亡春子が成田小学校のプール内において水泳中に異常を示し、藤倉病院に収容されるまでの経過は次のとおりである。

(1) 亡春子は、本件授業において、担当教諭から指示のあった「面かぶりクロール」(息継ぎをしないまま定められた距離(同日においては約一五メートル)を泳ぎきる方法)で泳いだものであるが、多数の児童が一斉に泳ぐため児童同士の衝突は避けられず、亡春子は第一回目の泳ぎの際に他の児童の体が前額部に強く当たったことから、頭痛の症状を他の児童に訴えており、顔面も青ざめていた。

亡春子は、第二回目の泳ぎの際、定められた距離の約半分に至ったところ、左腕が動かず水をかけない状態となり、プール内の同じ場所を左腕付近を中心としてぐるぐる回り始め、かつ息継ぎをすることもできず、体が半分沈んだ状態でプール内に溺れかけた。このときの時刻は午後一時五〇分ころであった。

(2) 右異常に気が付いた高橋教諭は、プール内に飛び込んで亡春子をプールサイドに助け上げ、小坂教諭に亡春子の看護を引き継いだ。

(3) 小坂教諭が高橋教諭から亡春子の引継ぎを受けた際、亡春子は顔面が蒼白で、他の児童との衝突による前頭部の頭痛を訴えて同部を自分の手で押さえ、体はぐったりとして脱力感があった。

小坂教諭は亡春子の右訴えを聞いた上、亡春子に対し、プール脇の見学者用テントまでの約一〇メートルの距離を歩いてみるように指示し、亡春子はこれに従って歩こうとしたが、半分も歩けず倒れかかり、小坂教諭に支えられて同テントに至った。

(4) 亡春子は、小坂教諭によって、見学者用テント内で、バスタオルを枕代わりにして寝かせられたが、授業終了に至るまでの約二〇分ないし二五分の間、そのままの状態に放置された。

(5) 亡春子は、午後二時三〇分ころ、小坂教諭により成田小学校保健室に運び込まれ、更に午後二時四五分ころ、浦壁養護教諭らにより、藤倉病院に収容された。

(三) 各教諭の過失

(1) 児童相互の衝突による傷害の発生を未然に防止すべき義務違反

亡春子の脳梗塞の発症の原因は、水泳授業中に泳いでいた亡春子の前額部に他の水泳中の児童の体が衝突して前額部挫傷の外傷を受け、その衝撃で、脳内のいずれかの血管壁に損傷が生じ、剥離した血管壁の一部が脳動脈を閉塞し、その結果右閉塞部から先の血管への血流が阻害されたことによるものである。

そして、本件授業を実施したプールは、幅二五メートル、奥行一九・五メートル(ただし仕切柵までは一四・五九メートル)の大きさであるところ、各児童の泳ぐ位置がライン又はコースで区画されあるいは仕切られていないため、各児童は泳ぎを開始した位置から各自の判断で自分の進行方向を選択し進行せざるを得ないものであり、多数の児童が一度にプール内に入って泳いだ場合には、児童相互の横の間隔が狭くなることと相俟って、児童相互の衝突が起こることは避けられない。

特に、面かぶりクロールは、両腕を交互に回転させてかき、かつ顔面を水面に浸ける泳法であるから、児童相互の衝突の可能性は一層増大する。

このような状況下において、本件授業で亡春子らの指導を担当していた高橋教諭及び小坂教諭は、児童相互の衝突により、児童が受傷する可能性は十分に予測し得たのであるから、泳ぐ児童相互間の間隔を十分にとるほか、各児童の泳ぐ進行方向を明示するラインの設定やコースの設定をすることなどにより、児童相互の衝突による受傷を防止すべき注意義務があった。

ところが、高橋、小坂両教諭は、前記事故発生の際、亡春子が所属していた四年三組の児童三二名全員を一度にプール内に入れて面かぶりクロールで泳がせており、前記衝突は、水泳授業においてプールの大きさに応じた適正な人数をはるかに超えた数の児童を一度に入水させて泳がせたことによって生じたものである(前記プールの幅を右児童の数で除した一人当たりの占める幅員は約七五・七五センチメートルであり、小学校四年生の児童の両腕部まで含めた体の幅は約四五センチメートルであるから、児童の左右の間隔は約一五センチに過ぎない。)。したがって、高橋、小坂両教諭には、前記のとおりの防止措置を講じることなく、漫然と右のような方法で水泳授業を実施し、亡春子の受傷を防止すべき義務を怠った過失がある。

(2) 監視義務違反

亡春子は、第一回目の面かぶりクロール中に、一緒に泳いでいた他の児童と衝突し、前額部挫傷の傷害を受け、頭が痛いことを他の児童に訴えて顔面も青ざめていたにもかかわらず、プール周辺にいた右教諭らは、監視義務を怠って、これらの状況を認知せず、漫然と亡春子に二回目の面かぶりクロールのスタートをさせ、その結果、二回目の泳ぎの途中で左片麻痺の症状が出現したのであって、右教諭らに監視義務を怠った過失がある。

(3) 亡春子に対し、適切な医療機関による診療を迅速に受けさせるべき義務違反

亡春子の前記症状と経過からすれば、亡春子をプールから助け上げた時点までに生じた同人の身体の麻痺によると認められる泳ぎの異常、顔面蒼白、歩行も満足にできないような脱力感等の外見的症状、頭痛の訴え等を認知した小坂、高橋両教諭は、それ以前に格別異常がなくかつ泳ぎが得意であった亡春子について、頭部の内部損傷あるいは何らかの脳障害が生じたのではないかとの判断をなし得たはずである。

そしてその異常部位からしても、これを放置することにより亡春子について重篤な結果をも生じ得ることを予測し得たはずであるから、亡春子をプールサイドに助け上げ同人の頭痛の訴えがあった時点において、小坂、高橋両教諭は直ちに、更に亡春子がプール脇テントから同校内保健室に運び込まれた際同人を引き継いだ浦壁養護教諭は、重篤であった亡春子の症状を把握した上直ちに、それぞれ亡春子につき、救急車を要請し、適切な医療機関(脳外科)に収容の上診療を受けさせるべき注意義務があったのであり、その診療によって少なくとも脳梗塞による脳の酸素欠亡を防止し脳梗塞の増悪を止めることにより、亡春子の生命を救うことはもちろん後遺障害の防止も可能であったにもかかわらず、右各教諭はこれらの注意義務を怠り、亡春子をプール脇テントで約二〇分ないし二五分間寝かせたまま放置し、また直ちに救急車を要請するなどの措置を採らなかった。

さらに、高橋、小坂各教諭及び浦壁養護教諭は、校医ないし学校近隣の医師による治療にこだわり、専門医による迅速な診療の機会を失わせ、また、プール脇のテントから校内の保健室までの搬送及び保健室から藤倉病院までの搬送は、いずれも教諭らが抱きかかえ、あるいは背負うといった不適切な方法により、救急車の要請は成田小学校は前例がないとして行わず、その結果適切な医療機関で迅速に治療を受ける機会を失わせた過失がある。

また、成田小学校校長等には、事故についての連絡を原告らから届出のあった連絡先に直接せず、原告らへの道絡が遅れた結果、各教諭らの判断及び藤倉病院での診療について、亡春子の状態を日常的に把握している保護者の意見提出の機会及び専門医による適切な機会を失わせた過失がある。

(4) 浦壁養護教諭の藤倉医師に対する説明義務違反

浦壁養護教諭は、亡春子を藤倉病院に搬送し収容する際に、藤倉医師に対し、亡春子に関する前記のとおりの泳ぎの異常やプールから助け上げた際の症状等を詳細に報告すべき義務があるのに、これを怠り、「プール内で遊んでいて意識を失った。」と告げたのみで、同医師の診療にとって有効、適切な情報を与えず、よって同医師をして的確な診療方法、転院措置等の実施を誤らせた過失がある。

(四) 被告成田市の安全配慮義務違反

被告成田市には、前述したように、成田小学校に就学する児童に対し、生命身体の安全を保護し、これを損なうような事故の発生を未然に防止すべき義務があるほか、児童に事故があった場合の保護者への連絡方法、児童の状態に対応できる病院医師の把握、救急車の積極的な利用、校医の専門診療科目や医療設備等の把握、健康診断や保護者からの聴取による児童の健康状態の把握等を日常的に行い、かつ現実に事故が発生した場合にこれらの把握した資料や内容等を適宜迅速に活用できるように整備した上、事故発生時においてこれを積極的かつ迅速に活用することにより、緊急事態においていたずらに時間を徒過することなく、また無用な混乱を防止し、事態に応じた適切迅速な対応ができる体制を整えておき、よって児童に対し適切かつ迅速な診療を受けさせ、児童の生命身体への侵害を防止すべき義務があったのであり、これらの義務は被告成田市が成田小学校の就学児童に対して負うべき安全配慮義務である。

しかるに、被告成田市は、その安全配慮義務の確実な実行について教諭等に対する指導、指示を怠ったことから、前記のとおりの各教諭の過失が生じたものということができるから、被告成田市には右安全配慮義務を怠った過失がある。

2  被告藤倉について

(一) 責任原因

亡春子が藤倉病院において診療を受けた平成元年六月三〇日、亡春子及び原告らと被告藤倉との間に、本件事故による亡春子の受傷等についての診療契約が成立し、被告藤倉は右契約に基づき、亡春子に対し適切かつ迅速な診療を行い、かつ必要であれば他の適切な医療機関へ転院させる等の措置を講ずべき債務を負担したものであるところ、被告藤倉の右債務の履行補助者である藤倉医師が右措置等を怠った過失により、亡春子の診療に際し亡春子及び原告らに損害を与えた場合には、民法四一五条により右損害を賠償すべき義務がある。

また、被告藤倉は藤倉病院を経営しており、藤倉医師は被告藤倉の被用者であるが、同医師は被告藤倉の事業の執行として亡春子を診察し治療したのであるから、被告藤倉は藤倉医師が右診療に際し前記過失により亡春子及び原告らに与えた損害について、民法七一五条により賠償すべき義務がある。

(二) 藤倉医師の過失

(1) 診察上の過失

藤倉医師は、亡春子について、前額部に挫傷があり、プール内で意識を失ったこと、来院時傾眠状態が存在していたことを、浦壁養護教諭等に対する質問及び亡春子に対する問診等により認識しており、癲癇の可能性を疑うほど亡春子の意識に異常があったことは明らかであるから、亡春子について頭部打撲による脳障害を疑うべきであったが、仮にその点の確信がもてないのであれば、具体的にプール内でどのような状況で溺れたのか、頭部の打撲はどのような状態で起こったのか、その後来院までにどのような経過があり、症状の進展があったのか等について究明すべきであり、また、意識障害の原因、程度、部位等の判断に不可欠な上下肢の麻痺、歩行障害の有無程度等の確認を行うべきであった。

ところが藤倉医師はこれを怠り、自ら積極的に事情を聴取するなどの努力をしなかったばかりか、四肢の麻痺及び歩行障害の有無も確認しないなど診察上の過失がある。

(2) 診断上の過失

本件において、藤倉医師としては、当然頭部打撲による脳傷害を疑うべきであり、そうでないとしても、(1)に述べた究明等を行っていれば、そのことは容易に判断できたものである。

しかるに、藤倉医師は、脳傷害の診断をせず、単に「前額部挫傷、約一日の安静加療を要する。」との診断をするにとどまり、頭部の打撲治療としての外傷湿布を行った後、付添いの浦壁養護教諭に対して、自宅へ帰って静かに休ませるように指示したのみであった。

ところで、藤倉医師は癲癇を疑っているが、亡春子には顕著な上下肢の麻痺があったのであるから、癲癇を疑う余地はない。

そして、本件のように脳性の疾患が疑われる場合、緊急を要するのは脳波ではなく、頭部CTの検査であるにもかかわらず、不要な脳波検査の依頼などを行って確定診断、ひいては適切な初期治療の遅れを招来した。藤倉医師は、亡春子について、脳梗塞の可能性を否定した理由として亡春子が若年であるという点を挙げているが、小児にも脳梗塞が発現しうることは明らかであって、結局、藤倉医師には診断を誤った過失がある。

(3) 治療上の過失

藤倉医師は、亡春子について、頭部打撲による脳傷害と診断し、その疾患に対する処置を可及的に講じるべきであった。

具体的には、一次救急医として、まず酸素を投与し、あわせて血管の確保を行った上、紹介状を書き、自ら救急車を要請し、救急車で専門病院に搬送すべきであった。

しかるに、藤倉医師は、脳挫傷の診断をせず、単に「前額部挫傷、約一日の安静加療を要する。」と診断して、外傷湿布を行った後、自宅に帰って静かに休ませておくようにと指示したのみであり、脳梗塞の治療として不可欠な抗浮腫剤の投与はもちろん、少なくとも応急措置として脳の虚血に有効である酸素吸入をも実施することなく、更に亡春子について救急車を要請し、これに同乗して搬送するなど、適切な医療機関において迅速な診療を受けさせるための転院措置を講じなかった過失がある。

(三) 因果関係

外傷性頸部頸動脈解離、外傷性頸動脈閉塞は、その経過は極めて早く、受傷から症状の発現まで大部分は三時間以内であり、なかでも一時間以内のものが圧倒的に多く、早期診断、治療が要求される緊急疾患であること、早期に確定診断がされ、適切に治療が行われた場合は、予後は比較的良い疾患であることから、亡春子は、時間の浪費を避け、脳神経系の精査ができる設備の整った医療機関へ移送されるべきであった。

しかるに、藤倉医師は診察においても診断においてもまたその治療及び処置においても医師として当然尽くすべき義務を怠り、そのため脳障害の確定診断を遅らせ、ひいては適切な初期治療の遅れという結果を招来した。

そのため、亡春子が藤倉病院を訪れた午後二時四五分ころは、傾眠状態、自立歩行ができない程度の上肢に強い左不全片麻痺という症状であったものが、原告らが亡春子を受け取ったころには、頭痛を訴えてもすぐ眠ってしまうという状態で、傾眠状態の進行がみられ、午後四時五分ころ成田赤十字病院を受診した時点では、意識は傾眠状態、左片麻痺、眼球の右方向偏位、即ち共同偏視を認め、頭蓋内病変の紛れもない進行を示している。

藤倉医師が、その義務を尽くして適切な診療、診断を行っていれば、亡春子の左片麻痺の症状を容易に知ることができ、癲癇という誤診を避けられ、亡春子に対してなすべき治療の内容や必要性を認識し得たはずであり、これが行われれば亡春子の脳浮腫、脳ヘルニアを防止し、救命することが可能であったのであり、仮に藤倉病院において抗浮腫剤の投与、CTによる検査等の脳梗塞に対応する治療が不可能な場合には、適切な診療を行う能力を有する医療機関への転院措置を速やかに講じて適切な治療を受けさせることにより救命が可能であったものである。

3  被告日赤について

(一) 責任原因

亡春子が成田赤十字病院に入院した平成元年六月三〇日、亡春子及び原告らと被告日赤との間に、亡春子の脳梗塞等の症状についての診療契約が成立し、被告日赤は右契約に基づき、亡春子に対し適切かつ迅速な診療を行うべき債務を負担したものであるところ、被告日赤の右債務の履行補助者である担当医師らが右措置等を怠った過失により、亡春子の診察に際し亡春子及び原告らに損害を与えた場合には、民法四一五条により右損害を賠償すべき義務がある。

また、被告日赤は成田赤十字病院を経営しており、加藤医師ら担当医師は被告の被用者であるが、同医師らは被告日赤の事業の執行として亡春子を診察し治療したのであるから、被告日赤は担当医師らが右診療に際し、診療上の過失により亡春子及び原告らに与えた損害について、民法七一五条により賠償すべき義務がある。

(二) 担当医師の過失

(1) 診察上ないし診断上の過失

成田赤十字病院に入院時の亡春子には、広範囲の脳梗塞が出現していたことが六月三〇日の第一回CT所見に現われていた。

すなわち、第一回のCTでは右前頭葉に低吸収域を認め、右中大脳動脈あるいは内頸動脈閉塞の超急性期の所見であり、発症状況、神経学的症状、急速な経過などからは外傷性頸動脈解離あるいは外傷性主幹動脈閉塞が疑われたのであるから、早期に確定診断をした上で適切な治療を施す必要があった。そして右確定診断のためには脳血管撮影が必須の検査法であるのに、担当医師らはこれを行わず、さらに片麻痺に進行した時点の経時的CT検査をも怠り、このために確定診断が得られなかったばかりか、症状の全体像の把握ができずに、その後の治療方針を誤る結果となった。

(2) 治療上の過失

亡春子の脳梗塞の原因は、外傷性頸動脈解離に起因するものであるから、成田赤十字病院の担当医師らは、その治療として早期に血栓溶解療法(塞栓の除去)を行い、また早期に抗浮腫剤としてのグリセオール、マニトールの投与を行うべきであったのにこれを怠った。

すなわち、血栓溶解療法として、ヘパリン、ウロキナーゼ、t―PA等を経静脈的に、クマディン(ワーファリング)、抗血小板剤等を経口的に投与し、場合によっては外科的療法である血栓摘出術、マイクロカテーテルを用いた超選択的局所線溶解療法を行うべきであるのにこれを怠った。

また、CTスキャンの所見及び麻痺の存在等から、亡春子について広範囲の脳梗塞の病変の存在を認識していたのであるから、これに伴う脳浮腫が当然に発生してくることを予測して最大限の注意を払い、六月三〇日の入院後直ちにマニトール、グリセオールなどの抗浮腫剤の予防的投与を開始し、以後もこれらを継続的に投与することにより、脳浮腫による脳圧亢進を防止し、脳圧を減少させて脳血管の閉塞による脳組織の壊死を防止して救命に努めなければならないところ、右投与時期の判断を誤り、入院の翌々日である七月二日に至ってはじめてマニトール、グリセオールの投与を開始したが、投与が遅きに失した過失があり、その結果、亡春子の脳梗塞に伴う脳浮腫の増大、脳圧の亢進、脳血管の閉塞による脳組織の壊死等の症状が進行し同人の死亡の結果を生じた。

なお、被告日赤は、マニトール、グリセオールには反跳現象、電解質失調等の副作用があり、脳室の偏位等明らかなマスイフェクト(正中偏位)が認められなければマニトール、グリセオール投与の適応ではないと主張するが、亡春子のような小児の場合は、大人と異なり脳実質が密であり、急速に脳ヘルニアを起こす可能性が強く、マスイフェクトが起きてからマニトール、グリセオールなどの抗浮腫剤を投与したのでは手遅れとなるのであるから、前記のような副作用の危険を考慮しても、救命のために抗浮腫剤を予防的に投与すべき必要性が勝っている状態であった。

(三) 因果関係

(1) 成田赤十字病院の担当医師らの右過失により、亡春子の脳梗塞に伴う脳浮腫の増大、脳圧の亢進、脳血管の閉塞による脳組織の壊死等の症状が次第に進行していった結果、同人の死亡の結果を生じた。

(2) ところで、被告日赤は、亡春子の全身状態が、七月四日午前零時の時点までは自力でうつぶせになることができたなど著変なく、その後に急変したことから、亡春子の死亡は再度の脳梗塞によるものと推測され、加藤医師ら担当医師の判断及び処置と亡春子の死亡との間に因果関係はないと主張する。

しかし、同日午前零時の時点では、亡春子が苦しむのを見かねた付添いの家族が同人をうつぶせにしたものであり、また七月三日午後八時には亡春子が明暗が不明瞭となったことを付添いの親に訴えており、これは動眼神経麻痺の症状を示すものであって、抗浮腫剤の投与時期が遅れたことにより、亡春子の脳梗塞に伴う脳浮腫の増大、脳圧の亢進等の症状が進行していったことは明らかである。

4  被告らの責任相互の関係

以上の被告らの責任は不真正連帯の関係にある。

5  損害 合計五五四八万五六五一円

原告ら各計二七七四万二八二五円

(一) 逸失利益 計二九二八万五六五一円

(1) 亡春子の逸失利益

三四〇万二一〇〇円(賃金センサス平成九年第一巻第一表企業規模計・女子労働者学歴計平均年収額)×一二・二九七三(一〇歳に適用するライプニッツ係数)×〇・七(生活費控除三〇パーセント)=二九二八万五六五一円

(2) 相続

原告両名にて法定相続分各二分の一を相続

原告ら各一四六四万二八二五円

(二) 慰謝料 計二〇〇〇万円

原告ら各一〇〇〇万円

(三) 葬儀費用 計一二〇万円

原告ら各六〇万円

(四) 弁護士費用 計五〇〇万円

原告ら各二五〇万円

四  被告成田市の主張

1  事故の経過について

(一) 平成元年六月三〇日の第五校時の水泳の授業は、成田小学第四学年一組ないし三組の合計九八名を対象として実施された。

成田小学校のプールの規模、形状は別紙一のとおりであり、前記事故が発生した際の教員の配置は別紙二のとおりであって、前記事故の際は、小坂教諭がプールサイドで全体の指導をし、新田とみ江教諭(亡春子の担任、以下「新田教諭」という。)が水を怖がる児童を指導し、高橋教諭がプールの中で観察、指導に当たった。

授業の内容は準備運動の後、全員を六組(亡春子は第六組)に分け、順次交代でプールに入り、まず「けのび」を行い、次いで「面かぶりクロール」を行うというものであった。

高橋教諭は、第二回目の「面かぶりクロール」を実施した際、亡春子に左半身が下に傾いていて、少し回るようにして泳いでおり、まっすぐに泳げない様子であることに気付いた。

そこで、高橋教諭は急いで亡春子を抱きかかえてプールサイドの小坂教諭に渡した。

このときの時刻は午後二時二五分ころであった。

(二) 高橋教諭から亡春子を受け取った小坂教諭は、亡春子をその場に座らせて水を飲んだかどうかなどを確認したが、その際亡春子は「(水は)飲んでいない。」「頭を友達にぶつけた。」などと言った。

小坂教諭は、亡春子が立っていられない状態であると判断し、同人を抱いてプールサイドの見学者用テントに連れて行き、そばにあったバスタオルで体を拭いて、仰向けに寝かせた。

その後小坂教諭は、高橋教諭に以後の児童の指導を依頼してから、亡春子を保健室で休憩させるため、同人を抱きかかえてプールから約二〇メートル程の距離の保健室まで連れて行った。

(三) 保健室にいた浦壁養護教諭は、午後二時三〇分ころ、小坂教諭から亡春子を受け取った。

浦壁養護教諭は亡春子の体をタオルケットで拭いて、血圧、脈拍等を測定し、また同人に「どこか痛いの。」と質問したところ、同人は右手でこめかみの辺りを押さえた。

水泳の授業を終えて保健室に来た新田教諭等が亡春子の着替えをさせている間、浦壁養護教諭は救急指定医療機関の藤倉病院に電話連絡し、応答に出た看護婦に対し、「四年生の女子が水泳の授業中にプールの中で泳ぎ方がおかしくなったので引き上げたところ、頭が痛いと言ってこめかみを押さえている。血圧は一二〇ないし六〇で、脈拍は六二、体温は低めです。早く診ていただきたい。」などと説明したところ、すぐ連れて来るようにとの指示を受けたので、成田小学校の校門から歩いて二分位(約一二〇メートル)の所にある藤倉病院まで、浦壁養護教諭が亡春子を背負い、藤崎用務員が付き添って連れて行った。

その時刻は午後二時四五分ころであり、亡春子が高橋教諭によってプールから助け出されてから約二〇分経過していた。

浦壁養護教諭は、藤倉病院で亡春子が診察を受ける際、藤倉医師に対し、前記説明と同じ内容の説明をした。

また、浦壁養護教諭は、藤倉病院から原告らの自宅に電話したが、留守であったので、直ちに緊急連絡先として届出のあった原告太郎の勤務先に連絡した。

(四) 同日午後三時過ぎころ、原告太郎が藤倉病院に自動車で到着し、丁度成田小学校で行われていた手芸教室に来ていた原告花子とともに、亡春子を成田赤十字病院に連れていった。

同日午後四時過ぎころ、原告花子が成田赤十字病院から成田小学校に「その時の事情が判る人に来てもらいたい。」と連絡してきたので、高橋、小坂、新田、浦壁の各教諭が直ちに成田赤十字病院に赴いたところ、原告花子から「脳梗塞との診断でした。」との話があり、次いで医師からプールでの経過について質問され、それぞれ経過を説明した。

2  各教諭等の過失について

(一) 原告らは、高橋、小坂教諭らが、泳ぐ児童相互間の間隔を十分にとるほか、各児童の泳ぐ進行方向を明示するラインの設定等をすることにより、児童相互の衝突による受傷を防止すべき注意義務があったのに、これを怠ったと主張するが、同教諭らは、原告らの主張するように四年三組三二名全員を一度にプール内に入れて面かぶりクロールを行わせたりしたことはなく、男女半数ずつをプールに入れて泳がせたものであり、児童相互の横の間隔は七〇ないし八〇センチメートルあった。また、同教諭らは、前列の児童が約一五メートル先の仕切柵に達した後に次の列を出発させており、後列の者が前列の者に衝突するはずがない。

(二) 原告らは、高橋、小坂教諭は、亡春子の症状から同人に何らかの脳障害等が生じたものと判断し、直ちに脳外科による診療を受けさせるべき注意義務があったと主張するが、小学校児童に脳梗塞が発症することは極めて稀な現象であり、医学的素人である教諭等にこのような判断を要求するのは無理である。また成田小学校としては亡春子について脳神経関係の既往症の連絡は受けておらず、水泳の可否については授業前に保護者から健康状態の報告を受けているが、亡春子については水泳授業に支障があるとの報告がされていなかったことなどからすると、小坂教諭等が亡春子を保健室の浦壁養護教諭の所まで運んだのは適切な措置である。

また、高橋教諭が亡春子の運動障害に気付いて助け上げたのは午後二時二五分ころ、小坂教諭が亡春子を保健室に運び込んだのは同三〇分ころであり、小坂教諭は高橋教諭から亡春子を受け取って直ちに保健室に連れて行ったのであって、プール脇のテントに二〇分ないし二五分寝かせたことはない。原告らは亡春子が本件授業中に異常を呈したのは午後一時五〇分ころであると主張するが、当日の本件授業の進行過程は別紙三のとおりであり、午後一時五〇分ころは準備運動が終了した時点である。

また、浦壁養護教諭は、藤倉病院に亡春子を連れて行き、藤倉医師の診察を受けた際、藤倉医師に対し、亡春子に異常が発生した経過、その際の症状、血圧、脈拍、体温等について説明しており、原告らの主張するような同医師の診察にとって必要な症状等の報告を怠った過失はない。

(三) さらに、高橋、小坂、浦壁等の各教諭が救急車の手配をせず、藤倉病院まで亡春子を背負うなどして連れて行ったのは、亡春子が頭が痛いなどとは訴えてはいたが、外見で判る外傷等もなく、意識があって話ができる状態であり、脈拍、血圧とも正常であったので、速やかに至近距離にある救急指定医療機関であって、受診の承諾を得てある藤倉病院に連れて行き、医師の診療と指示を受けるのが最も適切な処理であると考えられたからである。

この点に関する原告らの主張は、患者の処置について、救急車に乗車している消防署員の方が救急指定医療機関の医師よりも的確な専門的判断をなし得ることを前提とするものであり、理由がない。

また、原告らから成田小学校に対し、緊急時の指定病院についての届出はされていないし、そのような制度もない。

3  亡春子の死亡の結果との因果関係について

(一) 亡春子の脳梗塞の発症に関し、同人が水泳中に他の児童の体に前頭部を強く当てた事実はない。亡春子が、第一回目の面かぶりクロール水泳中に他に児童と衝突したことを認めた者は教諭にも児童にもいない。そして、亡春子は自分でプールから出て、次の第二回のクロール水泳のためにプールに入ったのである。

(二) 仮に児童の体が亡春子の前額部に当たった事実があったとしても、原告らの主張するような過程で脳梗塞が発症することはあり得ない。すなわち、外傷によって脳梗塞を受けた事例では、頭部に打撃等を受けた時に意識を喪失する事例が普通であり、かつ外傷によって脳梗塞が発症するのは、外傷直後ではなく、三〇分以上の経過が伴うとされている。しかるに亡春子の場合は、意識喪失もないし、発症に時間が経過していない以上、外傷以外の原因の可能性も大である。

(三) 原告らは、浦壁養護教諭等が亡春子を背負って藤倉病院に連れて行ったことは、安静を要する脳梗塞患者の搬送方法として不適切であったなどと主張するが、医学的素人に脳疾患の判断を要求するのは無理であり、また高橋教諭が亡春子の運動の異常に気が付いてから浦壁養護教諭等が藤倉病院に亡春子を連れて行くまでの時間は、午後二時二五分から同四五分までの約二〇分間であり、その間の各教諭らの措置が亡春子の死亡をもたらしたものではなく、亡春子の死亡との間に因果関係はない。

4  被告成田市は、日本体育・学校健康センター法(昭和六〇年法律第九二号)に基づいて設立された日本体育・学校健康センター(以下「センター」という。)と免責の特約を付した災害共済給付契約を締結していたところ、平成元年一二月五日に、センターから亡春子の死亡について、その保護者である原告らに対して、災害給付金死亡見舞金として一四〇〇万円が支給されたので、被告成田市は同法四四条一項に基づいて、右金額の限度で損害賠償の責任を免れている。

五  被告藤倉の主張

1  藤倉病院での診療経過について

藤倉病院は、外科、整形外科、内科を診療科目としている。

平成元年六月三〇日は休診日であったが、内科の医師が成田小学校の校医を務めていることから、亡春子について同校より診察依頼があり、整形外科を専門とする藤倉医師が亡春子を診察した。

亡春子は、右診察の際、前額部に挫傷があり、また傾眠状態にあったが、脈拍が六八、血圧が最高一二〇、最低六八で、吐き気も悪心もなく、手足も動かせ、かつ応答がはっきりしており、見当識正常(話ができる状態)で、意識障害もなかった。また前額部の挫傷は傷口が開いておらず、皮下出血もなく腫れも僅かであった。

藤倉医師は、亡春子に対し問診を行い、また引率の教諭等から事情を聞いたが、亡春子が「プールで遊んでいて、意識を失った。」などという趣旨の説明しか聞けなかった。そこで、同医師は亡春子について癲癇の可能性を疑い、引率の教諭等に亡春子の既往歴を聞いたが、判然としなかった。

藤倉医師は、近所の川辺医院に亡春子の脳波の検査を依頼したところ、工事中で検査ができないとの回答があったので、これを断念したが、亡春子の全身状態は悪くなく、特段の異常も認められなかったので、前額部挫傷との診断をし、湿布等の治療を行って診療を終え、付添いの教諭に「念のため、親に脳外科の診察を勧めて下さい。」と告げた。

2  藤倉医師の過失について

(一) 脳梗塞を含む脳血管障害の症候は、頭痛、悪心、嘔吐、めまい、視力障害、意識障害、運動障害、知覚障害、言語障害、痙攣、運動失調、不随意運動などがあるが、その反面運動障害すなわち麻痺を生じる疾患は非常に多く、それが脳血管障害によるものかどうかの鑑別は困難である。

その上、脳血管障害は高齢者に多く、小児の脳梗塞の症例は〇・一六ないし〇・一八パーセントと報告されている。まして水泳授業を受けていた児童に外傷性閉塞性脳血管障害が発生することは極めて稀で報告例もないほどである。

そして、亡春子が小児で脳梗塞の発生が少ない年齢であること、プールで状態が悪くなったというだけで、頭部に重大な打撃が加わったというような事情は聞かされなかったこと、診察時の亡春子の全身状態等のうち、異常な点は前額部挫傷と傾眠状態だけであり、血圧、脈拍とも正常で、かつ問診に応答し、話ができる状態すなわち見当識正常であり、意識障害がなく、手足も動かせるなど良好な状態であったことなどからすると、藤倉医師が亡春子について脳梗塞の発生を疑い、その旨の診断を下すことは不可能であったというべきであり、同医師に診断についての過失はないというべきである。

(二) また、抗浮腫剤の投与等の治療の必要性は、脳梗塞がCT等によりかなりの確度で診断できている場合に認められるものであり、藤倉病院において亡春子を診察した結果によれば、脳梗塞を疑う状況にはなかったのであるから、同病院において抗浮腫剤の投与、酸素吸入等の治療を行う必要性はなかったというべきである。

脳外科の専門医である成田赤十字病院の脳外科においても、亡春子を平成元年六月三〇日午後四時ころ診察し、低分子デキストラン等を投与したのが同日午後六時ころ、抗浮腫剤(グリセオール)を投与したのが入院の翌々日の同年七月二日午前八時ころのことである。したがって、藤倉医師が抗浮腫剤の投与等を行わなかったことに過失はない。

(三) これに加えて、藤倉医師は引率の教諭等に念のため脳外科の診察を受けるように勧めており、転院措置を講じなかったことについても過失はない。

3  亡春子の死亡の結果との因果関係について

(一) 原告らが主張するように、亡春子がプールの中で他の児童と衝突したかどうかは不明であるが、右衝突があったとしても、水中での衝突は衝撃が著しく減少すること等を考慮すれば、それによって脳梗塞が発生する可能性はごく僅かであり、仮に右衝突が脳梗塞の原因であるとすれば、亡春子の脳血管が非常に脆弱であったなどの先天的異常があったとしか考えられない。

(二) 仮に、亡春子に対する藤倉医師の診療行為等に過失があったとしても、亡春子は、その約一時間後(転院に要する時間を差し引くと、その時間はより短くなる。)には、十分な人的物的設備の整った成田赤十字病院において脳外科の専門医の診察を受け、十分な治療を受けている。脳梗塞の治療として抗浮腫剤の投与や酸素吸入等が有効なものであるにしても、右の約一時間の違いによって亡春子の状態と予後に大きな違いを生じたり、救命の可能性に影響を与えたりするものではない。

したがって、藤倉医師の診療上の過失と、亡春子の死亡との間には因果関係がない。

六  被告日赤の主張

1  診療経過

亡春子の成田赤十字病院における診療経過は別紙四「亡A野春子の被告病院における臨床経過」記載のとおりである。

2  担当医師の過失について

(一) 脳梗塞の原因としては、脳血栓と脳塞栓とがあり、脳梗塞に対する治療方法は、閉塞した脳の血管の再開通を図り、脳の虚血を改善することである。

右治療方法としては、脳血栓に対しては血栓溶解剤を、脳塞栓に対しては低分子デキストランを投与するのが基本であり、反跳現象、電解質失調等の副作用のあるマニトール、グリセオール等の抗浮腫剤は、CTスキャンによる所見の上で脳の圧排、脳室の偏位等マスイフェクト)mass effect脳が圧迫されている状態のこと)が出現した後に使用するのが原則とされている。

(二) 亡春子については、平成元年六月三〇日入院当初のCTスキャンによる検査においては、右前頭葉にかすかな低吸収域が認められたほかは、明らかな出血、脳梗塞像は認められなかったが、担当医師は、発症状況(突然生じた左片麻痺)より脳梗塞と診断し、また、小児であり脳血栓は考えにくいことから脳塞栓と判断した上、直ちに入院させ、低分子デキストランの投与を開始したものである(なお、亡春子に発生した麻痺は脳梗塞に基づくものであって、原告らのいう脳浮腫による支配領域への圧迫によるものではない。)。

また、右担当医師は、翌七月一日のCTスキャン検査によれば、右前頭葉及び基底核の広範囲な脳梗塞像は認められたが、脳室の偏位等明らかなマスイフェクトは認められなかったため、未だマニトール、グリセオールの適応ではないと判断し、今後亡春子に脳浮腫が発生し症状が進展するようであれば、速やかにマニトール、グリセオールの投与を開始することを検討していた。

その後経過観察中のところ、七月二日朝より亡春子の左片麻痺が進展したため、担当医師は脳浮腫が出現したと判断し、同日午前八時よりマニトール、グリセオールの投与を開始したものであり、同医師の判断、処置は当時の医療水準に照らし誤りがないというべきである。

(三) 原告らは、成田赤十字病院の担当医師らが、確定診断に必須の脳血管撮影の検査、経時的CT検査を行うべきであったのにこれを怠った過失によって、亡春子の脳梗塞の原因を正確に把握することができず、その後の治療方法を誤ることとなったと主張する。

しかしながら、小児の急性期における脳血管撮影を施行することは、実際には難しいうえに、脳血管障害の患者の観察上重要な意識レベルの変化が検査によってわからなくなることから、担当医師らが、平成元年七月一日、原告らに対し、落ち着いたら脳血管撮影を施行とすると説明している。よって、本件において脳血管撮影をしなかったことを不適切と判断することはできない。

また、原告らは、成田赤十字病院の担当医師らが、平成元年七月一日以降、亡春子に症状の進行に応じて経時的にCT検査をしていないと主張するが、成田赤十字病院の担当医師らは、同日までの二回のCT検査によって脳梗塞の診断をして、右診断に基づいて治療を始めたこと、既に治療方針として症状の進行が見られた時点ですみやかにマニトール、グリセオールの使用をすることが担当医師間で確認され、七月二日午前八時の時点で左片麻痺の進行が見られたのに対応して、マニトール等の投与が開始されたこと、亡春子の意識レベルは七月三日午後一〇時の時点でもクリアーであったこと等の事情に鑑みれば、第三回目のCTを行う医学臨床上の必要性は認められない。

(四) 原告らは、脳梗塞の証明がなされた時点でただちに血栓溶解療法をすべきであると主張するが、当時の医療水準を無視するものであって容認できない。

すなわち、平成元年当時、急性期脳梗塞に対する血栓溶解療法の効果については賛否両論あり、一定の結論に至っていなかったほか、ウロキナーゼ、血栓溶解剤t―PA、ヘパリン、ワーファリンについては、当時は使用が禁忌とされていたり、治験薬の段階にあったりし、また、副作用のため一般的には用いられていなかったのである。

(五) 原告らは、成田赤十字病院の担当医師は亡春子の入院後直ちにマニトール、グリセオール等の抗浮腫剤を予防的に投与すべきであったと主張するが、本件当時の一般的医療水準に照らし、亡春子に対する脳梗塞の治療として施行したグリセオール、マニトールの投与時期に誤りはなく、不適切とはいえない。

3  亡春子の死因について

(一) 前記グリセオールの投与開始後も、亡春子は傾眠状態が続いていたが、七月三日午後一〇時までグラスゴー・コーマ・スケール(GCS)は一四点であり、意識レベルは清明であった。また同月四日午前零時には自力でうつぶせになることができる状態であった。それにもかかわらず、その後亡春子の全身状態が急変し、当直医において心肺蘇生、強心剤、人工呼吸を行ったが、同日午前二時四六分、死亡するに至ったものである。

(二) 仮に亡春子が、右前頭葉の脳浮腫の増大により死亡したものとすれば、まず右瞳孔散大、その後対光反射消失、昏睡、両側瞳孔散大、呼吸不全、呼吸停止、心停止の経過をたどるのが一般的であり、亡春子のように急変することはあり得ない。

亡春子の全身状態が七月四日午前零時の時点では著変なく、その後に急変したという臨床経過からすれば、亡春子の死因としてはおそらく再度の脳梗塞(脳幹部梗塞)が生じたものと推測され、担当医師の判断及び処置と亡春子の死亡の結果との間に因果関係はない。

(三) 原告らは、七月四月午前零時には亡春子が苦しむのを見かねた付添いの家族が同人をうつぶせにしたもので、また七月三日午後八時には亡春子が明暗の不明瞭を付添いの親に訴えており、これは動眼神経麻痺の症状を示すものであって、脳梗塞に伴う脳浮腫等が抗浮腫剤の投与時期の遅れにより増大したことは明らかであると主張する。

しかし、亡春子が自力でうつぶせになったことは、成田赤十字病院の看護婦が巡回の際に亡春子の動静を目撃し又は付添いの家族から聞いた上で看護記録に記載したことから明らかである。また明暗の不明瞭はむしろ視神経の問題であり、動眼神経麻痺、すなわち瞳孔散大では生じることはない。

七  争点

1  被告成田市について

(一) 本件事故発生についての各教諭の過失の有無

(二) 本件事故発生後の各教諭の対応における過失の有無

(三) 成田市の安全配慮義務違反の有無

(四) 各過失、義務違反行為と亡春子の死亡との因果関係

2  被告藤倉について

(一) 藤倉医師の過失の有無

(二) 右過失と亡春子の死亡との因果関係

3  被告日赤について

(一) 担当医師の過失の有無

(二) 右過失と亡春子の死亡との因果関係

4  損害とその填補

第三当裁判所の判断

一  本件事故の発生から亡春子の死亡に至る経過について

1  本件事故の発生に至るまでの経過

(一) 前記争いの事実及び《証拠省略》によれば、次の各事実が認められる。

(1) 平成元年六月三〇日第五校時の本件授業は、成田小学校四年一組から三組までの児童全員九八名を対象に、一組の担任教諭の小坂教諭、二組の高橋教諭、三組の新田教諭の指導監督のもとに、同日午後一時四〇分から午後二時二五分までの予定で行われた。

成田小学校のプールの規模、形状は別紙一記載のとおりであるが、本件授業時には、同時に二年生の水泳授業も行われたため、プールを別紙一記載の仕切り柵で縦に二つに仕切って、ほぼ第一コースから第七コースまでを四年生が、その余を二年生が使用することとし、四年生は第一コース側のプールサイドから仕切り柵の方向に泳ぐこととしていたところ、本件授業の途中で二年生の担当教諭から第一コースから第七コースの飛び込み台と反対側の部分の使用を求められたことから、さらに同部分を除外したその余の部分を使って、小坂、高橋両教諭が全体指導を、新田教諭が泳げない児童の指導を分担して行った。

(2) 亡春子を含む四年生の児童たちは、午後一時三〇分ころから水着への着替えを行ったうえ、本件授業が始まる午後一時四〇分ころにはシャワーを浴びてプールサイドに集まり、同所で準備体操をした後、午後一時五〇分ころ全員がプール内に入って水中に身体を沈める練習をした。その後、一旦上がったうえ、各クラス毎(一クラスは三一名から三五名)に順番にプールサイドから仕切り柵に向けて自由な泳ぎ方での一五メートル泳を行ったところ、前述のとおり二年生のためにプールの一部をあけ、別に新田教諭が泳げない児童を指導するための部分も除くと、利用できるプールの幅が約一五、六メートルとなるため、各クラスを男女別にグループ分けして、六グループ(各グループは約一七名)とし、一組男子、女子、二組男子、女子、三組男子、女子の順で「けのび」を二巡(但し、二巡目は三組男子までで終了)行った後、面かぶりクロールの練習に入った。最初に小坂教諭が面かぶりクロールの説明と実演を行い、三組女子から順に二巡する予定で練習を始めた。

(3) けのびから後のカリキュラムは、右のとおり、幅一五、六メートルのところに一グループ約一七名の児童が並んで、順次、小坂教諭の合図で同時にスタートする方法で行われたが、各児童ごとに泳ぐ位置の区別や進路の目印はなく、児童の技能や能力の差が考慮されることもなかった。これは、プールの幅全体を使用した普段の水泳授業の際も同様であったため、泳いでいる間に児童相互の体がぶつかることがよくあった。

(4) 亡春子はこの一巡目の面かぶりクロールの際に、その右前額部に隣を泳いでいた児童の体が当たり、プールサイドに上がった後も頭を押さえてしきりに痛がっていたが、担当教諭らには何も告げることなく、二巡目の面かぶりクロールを始めたところ、途中、半分ほど進んだ地点で、身体が水面から一〇センチメートルほど沈んだ状態のまま、左腕を中心にして回転するような泳ぎになった。これに気づいた高橋教諭はプールの中で亡春子を抱えて、プールサイドの小坂教諭に渡し、小坂教諭は亡春子を立たせようとしたが立てないため、抱きかかえてプールサイドの見学者用のテント内に運び、脈と呼吸、水を飲んでいないかを確かめたうえ、タオルを枕にして横に寝かせ、少し休ませることにした。

(二) 原告らは、面かぶりクロールについても各クラス毎に約三二名の児童全員が一斉に泳いだと主張し、《証拠省略》にはこれに符合する児童らの供述内容の記載が存する。しかし、前記認定のとおり、本件授業時に使えるプールの幅は約一五、六メートルであったところ、この幅ではクラス全員が一斉に泳ぐことは到底不可能であること、右の各供述はいずれも四年生やそれより年少の児童から本件事故後一か月以上経過して聴取したもの、あるいはそれを前提に最近になって再度聴取したものなどであるうえ、普段の水泳授業では本件授業時のように各クラスをさらに男女に分けることはなく、各クラス単位をグループとして行っていたことが窺えるところ、右の各供述が普段の水泳授業と本件授業とを明確に区別してなされたものかどうか疑わしい点のあることなどに照らすと、いずれも直ちに採用することはできず、他に前記主張を認めるに足る証拠はない。

2  事故発生後、藤倉病院を受診するまでの経過

(一) 前記争いのない事実及び《証拠省略》によれば、次の各事実が認められる。

(1) 亡春子は、前記テント内で本件授業が終了するころまでおよそ五分間前後寝かされた後、小坂教諭に抱きかかえられて、午後二時三〇分ころ、プールから二〇メートルほど離れた保健室まで運ばれ、床のカーペットの上に横にされた。

そして小坂教諭は、保健室にいた浦壁養護教諭に対し、亡春子の泳ぎ方がおかしかったので高橋教諭がプールから引き上げたこと、水は飲んでいないようだが、頭をぶつけて痛いと言っていること、テントで少し休ませてから連れてきたことを伝えた。

(2) 浦壁養護教諭も亡春子に対して、水は飲んでいないか、頭の痛いところはどこかなどを確かめたが、これに対して右こめかみを押さえ、頭をぶつけたなどと答える亡春子の様子などから、大変ぐったりしていて、顔色が悪く、意識が少しおかしいとの印象を受けたが、プール内での異常の詳細について確かめることはなく、四肢の麻痺の有無などについても確認しなかった。

(3) そして、同室していた大森教諭が教室から亡春子の衣服を取ってきて、小坂教諭が亡春子を運んでいくのを見て駆けつけた新田教諭と共に亡春子の着替えをさせた。この間、浦壁養護教諭は、亡春子の血圧、脈、体温を測定した上、一刻も早く医師に診て貰いたいという気持ちから、先ず校医である小倉内科に電話したが、休診日で留守であったため、藤倉病院に電話をしたところ、同病院も休診日であったが、診察の了解を得ることができた。そこで、浦壁養護教諭は、亡春子を背負い、藤崎用務員に同行を頼んで、学校から歩いて二、三分の藤倉病院に向かい、午後二時四五分ころ同病院に到着した。

(二) 原告らは、亡春子がプールサイドのテント内に二〇分から二五分もの間放置されていた旨主張し、《証拠省略》には、これに沿った児童らの供述内容の記載が存するものの、これを直ちに採用できないことは前記のとおりであり、また既に認定した本件授業のカリキュラムの内容をもとに、《証拠省略》により認められるその所要時間をも勘案すると、本件事故は時間的には本件授業の最後の方で起きたものと認められるのであって、亡春子がテント内にいた時間は五分前後と考えるのが相当である。

3  藤倉病院における診察、治療と被告日赤の受診に至るまでの経過

(一) 前記争いのない事実及び《証拠省略》によれば、次の各事実が認められる。

(1) 藤倉病院では校医である内科の小出医師が不在であったため、整形外科が専門である藤倉医師が、浦壁養護教諭から、亡春子は、水泳の授業を受けている途中で具合が悪くなって引き上げられたこと(但し、診療録には「プールで遊んでいて意識を失った」と記載されている。)、血圧、脈、体温については異常はなかったことなどを聞いたうえで診察にあたった。藤倉医師が診察用のベッドに腰掛けた亡春子に状態をたずねたところ、頭が少しぼんやりしていて眠い感じがするとの返事があり、その後ベッドに寝かせて血圧と脈拍を測ったがいずれも正常値であった。また、右前額部に打撲による炎症と思われる赤くなった部分が認められたが、出血も腫れもなく軽微なものであった。

(2) 藤倉医師は、それ以上に右打撃の原因やその後の症状の内容や変化、四肢の麻痺や歩行障害の有無等については確かめることなく、亡春子の右状態から脳性の何らかの疾患によるものと考え、癲癇の疑いを持ち、川辺医院に電話をして脳波の検査を依頼したが、同医院から、当日は移転作業のため検査できないとして断られてしまった。藤倉医師は、亡春子に呼吸抑制等もないことから、それ以上に他の医療機関に連絡をとることなく、右前額部の挫傷部分に消毒湿布の措置を施しただけで、浦壁養護教諭に対し、癲癇様の発作の後と思われるので親に連絡をとって静かに休ませておくよう指示して、診療を終えた。

(3) そこで浦壁養護教諭は、藤倉病院から、先ず原告らの自宅に電話をしたが留守であったため、緊急連絡先であった原告太郎の勤務先に電話をして、同原告への連絡を依頼した。これを受けて午後三時二〇分ころ、原告太郎が藤倉病院に到着して、浦壁養護教諭から藤倉医師の指示内容を聞いたが、癲癇の既往はないことから、幼少時にあった低血糖と類似の症状ではないかと考え、学校の門の付近に停めた自動車の所まで亡春子を背負って連れて行き、助手席のシートを倒して寝かせた。

(4) 丁度そこに、成田小学校のPTAの文化活動で来ていて、午後三時半に亡春子と一緒に帰る約束をしていた原告花子が来て、亡春子の状態を確かめたところ、うとうとと寝ているような様子であったが、名前を呼んでどうしたのか聞くと、目をあけて、ぶつかって頭が痛いと答え、またすぐに眠ってしまい、右手には異常はなかったが、左手の方は持ち上げて離すと力無くパタンと落ちてしまう状態であったことから、原告らはすぐに亡春子を成田赤十字病院に連れていくこととし、途中にある自宅に保険証を取りに寄った上、午後四時前後ころ、成田赤十字病院に到着した。

(二) 被告藤倉は、浦壁養護教諭に対し、亡春子の親に念のため脳外科を受診するよう勧めて欲しいと告げた旨主張するが、この点についての《証拠省略》に照らして信用できず、ほかに右主張を認めるに足る証拠はない。

4  成田赤十字病院での診察、治療の内容と経過

(一) 前記争いのない事実及び《証拠省略》によれば、次の各事実が認められる。

(1) 成田赤十字病院では、直ちに脳外科の加藤医師が、原告花子から、午後二時半ころプールで倒れて藤倉病院で診察を受けたがぐったりしているので連れてきた旨の説明を聞いた上で亡春子の診察にあたったところ、意識は清明だが、左上下肢麻痺と眼球の右方向偏位がみられ、午後四時三五分から実施したCTスキャン検査の結果においても右前頭葉にやや低吸収域の存在が認められた。また、その間に成田小学校の前記各教諭に来院を求めて事故発生時からの経過を聴取するなどした上で、左片麻痺の症状や亡春子の年齢から脳梗塞の疑いがある旨診断し、午後四時四五分には血管を確保して水分・電解質の補給・維持のためにソリタT3の点滴を始めるとともに入院を指示し、午後四時五〇分病室に入るとすぐに酸素投与も開始した。

(2) 入院後は、成田赤十字病院の脳外科の五人の医師が共同で診療にあたることになり、午後五時ころには亡春子に痙攣がみられたことから、抗痙攣剤フェノバールが投与され(以後も、フェノバールの投与は継続され、七月一日午後二時以降はルピアール坐薬に変更された。)、午後六時ころからは、血液の粘張度を低下させる目的で低分子デキストランの点滴投与が始められた(これも以後継続された。)。

その後、亡春子は頭痛を訴え続け、傾眠も強かったが、意識障害の程度を示すグラスゴー・コーマ・スケール(GCS)は一四点(満点が一五点)を維持して意識清明の状態が続き、血圧、脈拍等にも異常はみられなかった。

(3) 翌七月一日の午前一〇時一一分から二度目のCTスキャン検査を実施したところ、右前頭葉から基底核に達する広範な低吸収域が明確に認められて、脳梗塞であることが明らかとなり、担当医師から原告らに対し、より詳細な診断のためには脳血管撮影が必要だが、生命の危険があるので三、四週間様子を見てから実施したい旨の説明がなされた。

同日午後零時にはGCSが一時的に八点に低下し。また左上下肢の麻痺の進行がみられたため、担当医師らは、今後麻痺が増悪すれば、抗浮腫剤であるグリセオール、マニトールを投与することを予定したが、午後二時にはGCSは一四点に戻り、その後同日は著変なく推移した。

(4) 七月二日午前六時ころ、左上下肢の麻痺の増強が認められ、午前七時においても同様であったことから、午前八時からグリセオールの点滴投与が開始され、午後零時からはさらにマニトールの点滴投与も始められた。その後、体温が三七・八度に上昇したため、午後二時から氷枕により頭部冷却が行われた。

(5) 翌七月三日には、便通があったことから、半固形物の摂取が許可されたが、プリンを食べさせようとしても、口の左端からこぼれ落ちて食べられない状態であった。同日午後二時には体温が三七・二度に上がり、午後四時には三七・五度に上昇したため氷枕が用いられた。

同日午後一〇時になって、亡春子の呼吸は不規則になり、初めて不整脈が出現し、意識は清明なものの若干低下気味となって傾眠傾向が増強し、徐脈の傾向やアニソコリー(瞳孔不同)もみられた。また、頭痛を訴え、痛覚刺激に対して左上肢を体幹に寄せて左下肢をびくつかせる反応を示していた。

翌七月四日午前一時四〇分、亡春子は昏睡して、瞳孔が左右とも散大し、対光反射もなく、両上肢が屈曲硬直して、失調性呼吸となり、血圧は高く、脈拍も早くなった。そのため、午前二時に当直医の会沢医師が気管チューブを挿管して人工呼吸を始めるとともに、中心静脈カテーテルを挿入して強心剤を投与したが、午前二時二〇分には血圧が低下して触知不可となり、午前二時三五分には病室を変えて人工呼吸器を装着し、さらに強心剤を追加投与したが、午前二時四六分、亡春子は死亡した。

(二) 被告日赤は、七月四日午前零時の時点で、亡春子が自力でうつぶせになった旨主張するが、これは亡春子が強い頭痛を訴えて苦しむのを見かねた付添いの家族が、痛みを少しでも和らげようとして姿勢を変えたものであり、亡春子の右に認定したような症状や左半身麻痺の状態からしても、自力での寝返りが可能とは考えがたいことなどに照らすと、右主張を採用することはできない。

二  亡春子の脳梗塞の原因と死因について

1  脳梗塞の原因について

(一) 《証拠省略》によれば、亡春子のような小児脳梗塞の原因としては、先天性心疾患、敗血症による塞栓症、鎌状赤血球貧血・赤血球増多症などの血液疾患、外傷による鎖骨下動脈・頸部動脈内膜損傷、頸部内頸動脈の動脈炎、解離性脳動脈瘤、線維筋性異形成などが挙げられているが、およそ三分の一は原因が明らかでなく、外傷によるものは一二パーセント程度と報告されていること、このうち外傷による頸部動脈内膜損傷による脳梗塞は、外力により過度な伸展が上位頸椎に及ぶのと同時に受傷部位と反対側への屈曲、回転が起きると、頚椎の横突起によって頸部内頸動脈が内膜断裂の損傷を受けて、これが血管を閉塞したり、解離したり、偽性動脈瘤を形成して血流を妨げ、これによってさらに順行性、逆行性に血栓を形成して完全に血管を閉塞してしまうというメカニズムで起きること、通常、この場合の血管閉塞による症状は、外傷を受けてから一時間以上経過して発現したとする報告例が大半であるが、患者が小児であることから、周囲が症状の発現にすぐに気づかないためであるとも考えられること、この場合の外傷は必ずしも強力なものでないことも多く、本件のような水泳時でも、息継ぎのために頸部を上方に伸展したり、側方に回旋している際に他児童と衝突したり、足で蹴られたりすれば、頸部の過伸展が起きることは十分に考えられることが認められる。

亡春子が、本件授業の一巡目の面かぶりクロールの際に、隣にいた児童の体が頭に当たって、頭を押さえながら痛がっていたことは既に認定したとおりである。また、《証拠省略》によれば、亡春子については幼少時に低血糖になったことがあるくらいで、前記のような脳梗塞の原因たりうる心臓疾患や血液疾患等に罹患した事実はないことが認められ、他の疾患等の存在を窺わせるに足る証拠もないことからすると、亡春子の脳梗塞の原因は、プール内での他児童との衝突に起因する外傷性頸部動脈内膜損傷によるものと認めるのが相当である。

(二) 被告らは、亡春子の脳梗塞の原因は明らかでないと主張し、その主張に沿う丁三四号証の永田和哉による鑑定意見書が存するが、これも確定診断に必要な脳血管撮影が施行されておらず、剖検も存しないことから、いまだ外傷性頚部動脈内膜損傷とは特定できないとするものであり、外傷性頚部動脈内膜損傷の可能性を全く否定しているわけではないのであって、同意見書の存在をもってしても、右判断を妨げるものではない。

2  死因について

前記認定の事実及び《証拠省略》によれば、亡春子の状態は七月三日の午後一〇時ころから悪化しているが、その内容からすれば頭蓋内圧の亢進による脳ヘルニアの切迫を示す不穏状態といえること、七月四日午前一時四〇分の段階では昏睡や瞳孔の散大、痛覚に対する徐脳硬直などヘルニアのために中脳の上丘と下丘の間で脳幹機能の連絡の途絶を示す所見が、午前二時ころには呼吸停止や血圧の急激な低下といった大孔ヘルニアの完成を示す所見がそれぞれみられること、これらの所見等によれば脳ヘルニアが起きたものと考えるのが相当であるところ、これに反し、脳幹部に第二次の梗塞が起きたとするには、塞栓の原因疾患や部位、経路などが明らかでなく、また、発症前の前記のような臨床症状を合理的に説明するのが困難であることが認められ、結局、亡春子は、外傷性頸部動脈内膜損傷を原因とする脳梗塞に伴う脳浮腫により頭蓋内圧が亢進し、急速に脳ヘルニアを来して死亡したものと認めるのが相当である。

三  被告成田市の責任について

1(一)  前記認定の事実によれば、本件授業において、指導監督にあたった小坂、高橋両教諭は、水泳中の児童がプール内で他の児童と衝突することは容易に予測ができ、またある程度の体格の児童が全力で泳いで衝突したり、足で他の児童を蹴ったりすれば、場合によっては双方あるいは一方の児童が何らかの傷害を負う事態になることも予測できたものと認められる。

したがって、水泳授業を指導する担当教諭としては、このように児童相互の衝突によって傷害の生じうるような泳ぎ方を児童にさせる場合には、各自の泳ぐコースや場所を明確に区分し、あるいは同時に泳がせる児童の数を減らすなどして児童間に十分な間隔を確実にとれるようにし、また児童に対しては、他の児童と衝突しないように十分に間をあけて泳ぐよう指導注意するなどの配慮をすべきであり、これにより児童相互の衝突による傷害事故を防止すべき義務があるものということができる。

(二) しかるに、本件授業においては、前記担当教諭らは、二五メートルのプールの幅に、各自の泳ぐコースの設定も目印もないまま、一クラス三一名から三五名の児童をその技能等の相違に配慮することなく、適当に並ばせて各自自由な泳法で一斉に泳がせてみたり、本件事故時のように一五、六メートルの幅に約一七名の児童を並ばせて、合図で同時にスタートする方法でけのびや面かぶりクロールをさせたりしていたものである。前者の場合には単純に計算して一人当たりが泳ぐ幅は約七、八〇センチメートル、後者の場合でも約八八から九四センチメートルしかなく、児童が必ずしも等間隔に並んではいないことからすれば、さらに間隔が狭くなる場合もあって、結局、衝突の危険を防止するための配慮は殆どなされていなかったというほかはない。また、児童に対して、他の児童との衝突に注意して十分な間隔をあけるように指導注意した事実も窺われない。

したがって、小坂、高橋両教諭には、本件授業を実施するにあたって、児童相互の衝突による傷害事故の発生を防止すべき注意義務を怠った過失があるというべきである。

(三) 被告成田市は児童相互の間隔は七〇ないし八〇センチメートルあったと主張するが、児童の身体の幅や、腕を交互に回転させるクロールという泳法の性質を考慮すると、実質的に確保される間隔はせいぜい四、五〇センチメートルにすぎないと考えられ、また各児童の技能が十分でなく、斜行してしまう児童もありうることを考えれば、この程度の間隔で十分に衝突を防止しうるものとは到底いうことができない。

2  また、前記認定の事実によれば、本件事故発生後、小坂教諭は泳ぎ方がおかしいとして高橋教諭から亡春子を引き継いだうえ、亡春子を立たせようとして自分では立てなかったのを知りながら、それ以上に亡春子の状態を確かめようとせず、またその事実を保健室の浦壁養護教諭にも伝えず、浦壁養護教諭もまた、プールでの様子を小坂教諭らに確かめなかったばかりか、自ら亡春子の状態を十分に確認しようとしなかったために、左上下肢に麻痺のあることに気づかないまま藤倉病院に連れて行き、藤倉医師にも適切な説明ができなかったことがそれぞれ認められる。

右各教諭や浦壁養護教諭に、前述したような外傷による頸部動脈内膜損傷による脳梗塞の発症について詳しい知識がないのはやむを得ないとしても、体育の授業としてのプールでの水泳中に生じた身体の異常であり、少なくとも亡春子について前述のような徴候がみられたのであるから、それをもとに各人が亡春子の状態を十分な注意力をもって把握するよう努め、必要な情報を的確に伝達して適切な対応を取るべき注意義務があったというべきであり、この義務を尽くしていれば、容易に左上下肢の麻痺という事実に気づき、救急車の要請も含め、亡春子がその症状に対応した適切な医療機関で迅速かつ適切な診療を受ける方策を講じることができたものと考えられる。

したがって、この点でも、小坂教諭及び浦壁養護教諭には過失があるというべきである。

3  各教諭及び浦壁養護教諭の過失行為と亡春子の死亡との因果関係

(一) 前述のとおり、亡春子は、プール内での他児童との衝突に起因する外傷性頸部動脈内膜損傷による脳梗塞を生じ、この脳梗塞を原因とする脳浮腫により頭蓋内圧が亢進し、脳ヘルニアを来して死亡したものと認められるから、前記各教諭の過失による行為と亡春子の死亡との間に因果関係の認められることは明らかである。

(二) また、前記認定の亡春子の症状の推移にかかる事実及び《証拠省略》によれば、外傷性頸部動脈内膜損傷による動脈閉塞は、その経過が極めて早いものであって、急性期の治療が有効なのは閉塞時間三時間以内と考えられていることから、早期に確定診断を得て、血流の回復を図るような試みや、脳浮腫を軽減して二次的な脳循環障害を防ぐための治療等、適切な治療が施されることが予後にとって重要であり、適切な治療がなされれば、脳浮腫を来しても二ないし四週間で徐々にこれが消退していき、予後も比較的良好な疾患であること、ことに脳実質が密である小児の場合には脳浮腫を来しやすく、一層早期の治療が必要とされること、亡春子の症状は、本件事故当日の午後二時四五分ころ、藤倉病院を訪れた時点では、傾眠状態と自立歩行ができない程度の強い上肢の左不全片麻痺であったものが、午後三時二〇分から三〇分ころには、傾眠状態の進行がみられ、左上肢の麻痺も完全麻痺に近い状態に悪化しており、成田赤十字病院を受診した午後四時五分の時点では、左上下肢麻痺と眼球の右方向偏位が認められるというように推移しており、この間に不可逆的な頭蓋内病変が進行したことがそれぞれ認められるのであって、これに照らせば、小坂教諭及び浦壁養護教諭が前記注意義務を尽くさず、亡春子の左上下肢の麻痺という事実に気づかないまま、亡春子に早期に適切な医療機関での診療を受けさせることができなかったことと、亡春子の死亡との間にも因果関係があると認めるのが相当である。

4  以上によれば、被告成田市には、国家賠償法一条一項に基づき、前記の各教諭及び浦壁養護教諭の過失によって亡春子及び原告らが被った損害を賠償すべき責任があるものと認められる。

また、被告成田市は、成田小学校に在籍する児童に対して保護監督義務を負っており、その内容として学校における児童の安全確保ないし安全配慮義務があるものと解されるところ、以上述べてきたような各教諭及び養護教諭の過失は、同時に被告成田市の児童に対する安全配慮義務の履行補助者としての過失と評価することもでき、したがって、被告成田市は、安全配慮義務違反の債務不履行による損害賠償義務を負っているものと認められる。

四  被告藤倉の責任について

1  前記一2、3で認定した事実によれば、亡春子が藤倉病院で藤倉医師の診察を受けた時点で、浦壁養護教諭を介して、原告ら及びその法定代理により亡春子と被告藤倉との間に、本件事故による亡春子の受傷に対する必要な治療を目的とした準委任契約が成立したものと認めるのが相当である。したがって、被告藤倉は原告ら及び亡春子に対し、亡春子につき本件当時における一般的な医療水準に照らして適切な診療にあたるべき義務を負ったものと認められる。

2  藤倉医師による亡春子に対する診察と診断、治療の内容については前記一3で認定したとおりであり、また亡春子の症状が外傷性頸部動脈内膜損傷による脳梗塞と認められることも前述したとおりであるが、一の2ないし4で認定した亡春子の症状の推移に関する事実及び《証拠省略》によれば、藤倉医師が診察した時点で、亡春子にはすでに左上下肢の不全片麻痺の症状が発現していたものと考えられるところ、同医師は右前額部の挫傷の存在を認め、さらに亡春子が意識を失ったことを聞き、実際に傾眠傾向のあることを認識していたのであるから、整形外科が専門であったとしても、医師として当然に頭部打撲による何らかの脳障害の可能性を考慮して、前額部挫傷の原因や来院するまでの症状の内容や変化等について詳しく確認し、四肢の麻痺や歩行障害の有無、さらには頭部レントゲンや頸椎単純撮影、頭部CTスキャン等所要の検査を行って然るべき治療を施し、仮に設備等の関係から藤倉病院での診療や検査が困難であればこれらが可能な医療機関に速やかに転送すべきであったということができる。

しかるに、藤倉医師が、脳性の何らかの疾患が原因であるとまで考えながら、右の確認や検査、転送等を怠り、その結果、すでに発現していたはずの左不全片麻痺の症状に気づかないまま、癲癇を疑って脳波の検査を手配し、これができないと判明するや、単に挫傷の消毒治療を施し、自宅での安静を指示しただけで診療を終えてしまったことは、亡春子についての診療上の過失というべきである。そして、前記三3(二)記載のとおり、外傷性頸部動脈内膜損傷による動脈閉塞については早期の診断と治療が重要であり、適切な治療が施されれば予後は比較的良好であること、亡春子の症状は藤倉病院を訪れた時点から成田赤十字病院を受診する時点までの間に明らかに悪化しており、その間に脳梗塞による不可逆的な頭蓋内病変が進行してしまったものといえることなどに鑑みると、右の過失行為が亡春子のその後の症状の進行や変化、そして治療に重大な影響を及ぼしたことは明らかであり、その死亡との間にも因果関係があるものと認めるのが相当である。

3  被告藤倉は、麻痺があってもその原因は非常に多く、脳血管障害によるものかどうかの鑑別は困難で、しかも小児の症例は極めて稀であって、藤倉医師に与えられた情報の範囲内で亡春子の脳梗塞を診断することは不可能であるから、同医師には過失がないと主張し、これに沿う丙九号証の野口照義の鑑定意見書が存するものの、これらは藤倉医師に前述したような前額部挫傷の原因、来院するまでの症状の内容及びその変化等についての確認並びに四肢の麻痺や歩行障害の有無についての検査等を行うべき義務がないとする前提に立っての主張なり意見であって採用できない。

4  よって、被告藤倉には、藤倉医師の前記過失により原告ら及び亡春子が被った損害について、その使用者として民法七一五条により、また前記診療契約上の債務不履行により、それぞれ賠償すべき責任があるものと認められる。

五  被告日赤の責任について

1  前記一4で認定した事実によれば、亡春子が成田赤十字病院で加藤医師の診察を受けた時点で、前同様、原告ら及び亡春子と被告日赤との間に、本件事故による亡春子の受傷に対する必要な治療を目的とした準委任契約が成立したものと認められる。したがって、被告日赤は原告ら及び亡春子に対し、亡春子につき、本件当時における一般的な医療水準に照らして適切な診療にあたるべき義務を負ったものといえる。

2  原告らは、成田赤十字病院の担当医師らには、早期の脳血管撮影や経時的なCT検査を怠り、治療においても早期の血栓溶解療法等を施さず、抗浮腫剤の予防的投与をせずに投与の時期が遅れた過失がある旨主張しているので、以下順次検討する。

(一) 脳血管撮影及び経時的CT検査について

原告らは、脳血管撮影及び経時的CT検査により亡春子の脳梗塞症状の原因を早期に確定診断して、以後の治療方針を決定すべきであったと主張し、これに沿う《証拠省略》によれば、脳血管撮影や亡春子の左片麻痺が進行した時点でのCTスキャン検査によって病状の全体像を把握し、治療上重要な、発症から三時間以内の超急性期あるいは六ないし八時間以内の急性期における脳保護物質の投与、血流再開のための保存的、外科的手段が開始されるべきであるとされている。

しかし、他方において、《証拠省略》によれば、脳血管撮影には一、二時間の安静臥床を要するうえ、疼痛を伴うことから小児では鎮静剤の投与もしくは麻酔を必要とするが、これにより急性期に最も注意すべき患者の意識レベルの変化が観察できなくなってしまうために、小児の超急性期に脳血管撮影を実施するのは現実には容易でなく、報告例においても早期実施例は極めて僅かで、急性期を経た後に行うべきであるとする見解も存することが認められる。これに加えて、成田赤十字病院の担当医師らもその実施を考えていなかったわけではなく、七月一日の時点で原告らに対し、生命の危険があるので三、四週間様子を見てから行う旨の説明をしていること、後述するように確定診断を急ぐことによって考えられる治療法は、いずれも本件事故当時においてはいまだ一般的な治療法ではなかったことをも考慮すると、脳血管撮影を早期に実施しなかったことをもって担当医師らの過失と評価することはできない。

また、CTスキャン検査については、成田赤十字病院では、前述のとおり六月三〇日午後四時三五分と七月一日午前一〇時一一分の二回行っているのであるから、急性期の治療に役立てるという意味では十分といえ、その後の経過を追うための検査をしていないとしても、それによって治療上どのような不都合が生じたのかを認めうる証拠もなく、保険診療上の制約のあることをも考慮すると、この点も過失と認めることはできない。

(二) 血栓溶解療法について

原告らは、鑑定の結果に照らして、早期に血栓溶解剤の投与や血栓摘出術等を施行すべきであったと主張する。しかし、《証拠省略》によれば、血栓溶解剤の投与療法は、血栓そのものを溶解することよりも、微小循環の改善作用や血栓の末梢・中枢側への進展防止の効果があるものと考えられていること、本件事故当時を含め従来は急性期における血栓溶解療法は出血性梗塞の発症を助長し、臨床症状を増悪させるおそれがあるとして禁忌とされていたもので、近年の診断精度の向上や新薬の開発などにより次第に試みられるようになってきたものであるが、超急性期の脳血管撮影の実施等、正確な病型診断、病態の把握が要求されることなどの問題が存するうえ、その効果については積極・消極両説があって一定の結論には至っていないこと、現在多く用いられている血栓溶解剤は本件当時にはいまだ正式には発売されておらず、したがって保険適用にもなっていなかったこと、外科的療法についても、施行例が少ないため評価は定まっておらず、手術による浸襲も無視できないとして適応に疑問を呈する見解もある上、小児については技術的な困難を伴うことがそれぞれ認められるのであって、本件事故当時の臨床の現場における一般の医療水準からすれば、原告ら主張の血栓溶解療法を施さなかったことをもって過失ということはできない。

(三) 抗浮腫剤の投与時期について

原告らは、担当医師らは、亡春子に脳浮腫が起こることを予測して、六月三〇日の時点からグリセオールやマニトールといった抗浮腫剤を予防的に投与すべきであったと主張し、これに沿う《証拠省略》も存する。しかし、他方において、《証拠省略》によれば、グリセオールやマニトールを超急性期から投与すべきであるという考え方は最近主流になってきたもので、本件事故当時を含め従来は二四時間以内の投与例は必ずしも多いとはいえなかったこと、マニトールについては副作用のおそれが強くあり、またグリセオールについては重篤例や軽症例では効果が悪く、その投与時期と症状の改善率との間には必ずしも有意的な関係はないなどとする研究結果もあり、理論的な問題とは別に、臨床の実際においては必ずしも早期投与が予後改善に有効であるとの意見では一致していないことが認められるのであって、本件事故当時の臨床の現場における一般の医療水準に照らして考えると、この点も過失と認めることはできない。

3  以上によれば、成田赤十字病院の担当医師らには原告ら主張のような過失は認められず、したがって、被告日赤については原告ら及び亡春子に対する損害賠償責任は認められない。

六  損害について

1(一)  逸失利益

(1) 亡春子は、平成元年七月当時、一〇歳の健康な女子で、本件事故により死亡することがなければ、満一八歳から満六七歳までの四九年間稼働しえたものと推認される。

ところで、このように将来にわたって得べかりし利益を侵害された者の損害額の算出は、被害者に生じた損害賠償請求権の金銭的評価の問題であり、また損害賠償制度が被害者が被った損害の完全な賠償を目的とするものであることからすれば、その評価を、証拠上その蓋然性が認められる限りにおいて不法行為時や債務不履行時以後の適宜の時期における損害額に関する資料に基づいて行うことも許されるものと解すべきであり、この意味で本件で平成九年度の賃金センサスを用いて逸失利益を算定すべきであるとする原告らの主張は理由があると認められる。そこで、平成九年度賃金センサス第一巻第一表によれば、女子労働者産業計、企業規模計、学歴計全年齢平均年収額は三四〇万二一〇〇円であるから、これを基礎として右稼働期間を通じて控除すべき生活費の割合を三割とし、中間利息の控除につきライプニッツ式計算法を用いて(一〇歳に適用するライプニッツ係数一二・二九七三)亡春子の逸失利益を算定すれば、次のとおり金二九二八万五六五一円となる。

三四〇万二一〇〇円×(一-〇・三)×一二・二九七三=二九二八万五六五一円

(2) 弁論の全趣旨によれば、亡春子の損害賠償請求権につき、原告らが法定相続分に従って、各二分の一宛相続したことが認められる。

(二) 慰謝料

前述したような亡春子の受傷から死亡に至る経過、ことに児童の安全保護について万全が期されているべき小学校において担当教諭らの過失により事故に遭い、また病院では医師の過失により適切な治療が受けられず、その結果、苦しみながらわずか一〇歳の短い一生を終えた亡春子の最期を看取らざるを得なかった原告らの精神的苦痛は甚大なものと認められ、その慰謝料は原告らそれぞれにつき一〇〇〇万円とするのが相当である。

(三) 葬儀費用

亡春子の葬儀費用としては金一二〇万円が相当であり、弁論の全趣旨によれば原告らが各六〇万円宛負担したものと認められる。

2  損害の填補

《証拠省略》によれば、原告らは、平成元年一二月五日、センターから、本件事故による亡春子の死亡について、災害給付金死亡見舞金として、一四〇〇万円の支給を受けたことが認められ、日本体育・学校健康センター法二一条三項、四四条一項により被告成田市は右金額の限度で損害賠償の責めを免れるところ、原告らはこれによりその損害の一部の填補を受けたものと解される。

3  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に鑑み、相当因果関係の範囲内として被告らに請求しうべき弁護士費用としては、原告らそれぞれにつき一八〇万円とするのが相当である。

七  以上判示したとおり、原告らの本訴請求は、被告成田市及び被告藤倉に対して、右両被告各自が、原告ら各自に対し、金二〇〇四万二八二五円及びこれに対する亡春子の死亡した平成元年七月四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容するが、右両被告に対するその余の請求及び被告日赤に対する請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、平成一一年四月二六日に終結した口頭弁論に基づいて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西島幸夫 裁判官 伊藤敏孝 鈴木秀雄)

〈以下省略〉

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